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◆小石川・新撰組めぐり ブログトップ
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清河八郎の墓 [◆小石川・新撰組めぐり]

さて、ここからが新撰組。
清河八郎が埋められているのだ!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B2%B3%E5%85%AB%E9%83%8E


清河といえば、江戸で「京都に上る将軍警護のため」という名目で、伝通院で人を集めた人である。このとき作った「浪士隊」から、京都に残った土方・近藤たちが「新撰組」の母体になったのは言うまでもない。
しかし清河は京都についたら今度は「天皇のために働く」といって、浪士隊をすぐ江戸へ帰してしまった。いわば軍資金をだした幕府をだまし倒幕に加担しようとしていた男だが、幕臣・佐々木只三郎に斬られた後、皆を騙したまさにその場所に葬られているというのも皮肉だ。

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伝通院の門を出ると右手に、【処静院の石柱】がある。実は、浪士隊が集められたのは伝通院の敷地内にある、別の院だったのだ。
残念ながらいまはないその処静院、今は木陰に説明版がたっているだけである。
ここに土方・近藤ら試衛館一派が集まったのだなと思うと、なんともいえない感慨深いものがこみ上げてきた。

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伝通院 [◆小石川・新撰組めぐり]

■伝通院

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↑広々とした境内

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↑一見ぎょっとする指塚ですが由来をみるとナルホドです

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↑けしてgood!ではない

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↑左下のてすりの奥にお手洗いあり

徳川家康の生母、お大の方の菩提寺。
ほかにも家康の側室・お奈津や、二代目秀忠の長女・千姫、三代家光次男・家光の正室などが眠っている。

昔は大伽藍を擁していたようだが、いまや右手には報徳学院のモダンな建物も眩しく、こざっぱりとしてがらんとしてる。ややもの寂しい感じがした[ふらふら]
江戸時代に・明治と三回の大火にあい、さらに第二次世界大戦でまたも燃えてしまったというから、しょうがないのかもしれない。
宝物全て灰燼に帰してしまったそうな。
歴史は後からみえてくるが、本当に戦争で失ったものは計り知れない[もうやだ~(悲しい顔)]

しかしさすが徳川菩提寺、今は【観音堂】という休憩所までこしらえてある。
本堂向かって左下、スロープをくだるとトイレがあり、とても清潔にしてある。ついたのは16時ごろだったが、私たちが観音堂でお墓参りのリーフレットを購入し終わるとすぐ閉まってしまったので、お墓参りをするなら早めのほうがいい。

本堂はしまっていたが、賽銭箱などが表に出ていないので失礼して扉をあけると、参拝用に焼香などしつらえてありました。
清潔にしていて、本尊のほかに開祖と思われる像や、観音様など左右に安置されていたが、どれも焼香の灰は暖かく、毎日人の手がきちんと入っている感じがした[目]

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↑観音堂にある、家康に贈られた子供用鎧の復元

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↑生涯家康の支えになったといわれている

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↑千姫の墓

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↑亀松の墓。鳥居?の高さは低い。こういうタイプのお墓をよくみるが、必ず頭を下げて通るようにするためなのだろうか


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善光寺坂から伝通院へ [◆小石川・新撰組めぐり]

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↑焼けてしまったのか?失礼して小さな社にお参りした

ゆるやかな善光寺坂をのぼると、中腹にすぐ善光寺が。
何にもないけど風情があります[かわいい]
その隣に慈眼院があり、ここはお稲荷さんが鎮座。
なぜかな?とおもったら、面白い由来が。
なんとここに、稲荷台明神が沢蔵司(たくぞうす)という僧侶になり、修行を行っていたというのだ。
なんとも日本らしい伝説。その沢蔵司はよく伝通院門前のそばや通っていたという。
伝通院へ向かう道すがらに、その沢蔵司が宿るという巨木が立っている。
それは後で知ったのだけど、なるほど霊木の雰囲気なみなみならなくて、存在感があった。

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↑もう御霊はここにはいらっしゃらないかも…


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