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清河八郎の墓 [◆小石川・新撰組めぐり]

さて、ここからが新撰組。
清河八郎が埋められているのだ!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B2%B3%E5%85%AB%E9%83%8E


清河といえば、江戸で「京都に上る将軍警護のため」という名目で、伝通院で人を集めた人である。このとき作った「浪士隊」から、京都に残った土方・近藤たちが「新撰組」の母体になったのは言うまでもない。
しかし清河は京都についたら今度は「天皇のために働く」といって、浪士隊をすぐ江戸へ帰してしまった。いわば軍資金をだした幕府をだまし倒幕に加担しようとしていた男だが、幕臣・佐々木只三郎に斬られた後、皆を騙したまさにその場所に葬られているというのも皮肉だ。

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伝通院の門を出ると右手に、【処静院の石柱】がある。実は、浪士隊が集められたのは伝通院の敷地内にある、別の院だったのだ。
残念ながらいまはないその処静院、今は木陰に説明版がたっているだけである。
ここに土方・近藤ら試衛館一派が集まったのだなと思うと、なんともいえない感慨深いものがこみ上げてきた。

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コメント 1

桃源児

伝通院、行ったことがあります。
ここに清河が葬られたのも、本当に皮肉というか、因縁めいているようにも思えてしまいます。
by 桃源児 (2009-07-28 01:18) 

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