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稀勢の里引退荒磯襲名披露大相撲 [★相撲観戦]

W杯の合間に観に行った稀勢の里。

開場が開始の30分前であることで、待機列が長蛇列と化し、開場11時でしたが大混雑で入れたのは11:45、中の弁当土産引換にも大行列、開演の11:30に間に合うはずもなく。

すったもんだの挙げ句座れたのは12:15、お祝い甚句と十両取組が観れず、稀勢の里の最後の土俵入りにギリギリ。せめて1時間前に開場して欲しかったな。

お土産はポテトチップス・お弁当・焼き鳥・稀勢の里著書本・手形(プリント)・ペットボトルのお茶でした。


勢など名手の相撲甚句を聴き、その後舞台は暗転し、NHK記者の解説で稀勢の里優勝の実況の再現がされました。


そしていよいよ断髪式。

長い長い関係者の鋏入れの後、稀勢の里の実父に「おとうさーん」、若乃花には「おにいちゃーん」というかけ声が飛びつつ、いよいよライバルたちの登場。琴奨菊が鋏を入れたときは胸が熱くなりました。最後、親方が留めばさみを入れたときは稀勢の里も流石に涙を抑えていました。

W杯の試合があったので、その後の幕内の取り組みは諦めました。淡路海の弓取り式、見たかったなぁ。sportsはどれも一生に一度だ。



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7/7 渋沢記念館・晩香廬・青淵文庫/迎賓館赤坂離宮&和風別館 遊心亭 [◇江戸寺社・史跡めぐり]

■渋沢記念館
https://www.shibusawa.or.jp/museum/

大河ドラマの主役になる渋沢栄一の軌跡をたどる記念館です。私がここで彼の功績をウダウダと書くこともないので割愛しますが、幕臣時代のことにも触れられていて、興味深いです。大河ドラマで描かれることによって、近代日本経済の礎を築いた人が幕臣だったとうことが、幕府が無能な人間ばかりで倒れて当たり前だったという一辺倒の幕末観を少しでも薄れさせてほしい。小栗上野介など、功績にスポットを当てるべき人間は幕府側にもごまんといました。それが薩長による「勝者の歴史」により、人々の記憶から消えていくのが悲しいので。

■晩香廬
https://www.shibusawa.or.jp/museum/news/info/post2012_04_01_41018.html

記念館の斜向かいにある晩香廬(ばんこうろ)と、青淵文庫にも行きました。晩香廬は渋沢が喜寿の時に清水建設から贈られた建物で、和洋折衷の趣のある建物です。寿の文字を象ったタイルのある暖炉、行灯のような玄関照明、出窓のある瓦屋根の平屋。黒紫のタイルが張られた壁は煉瓦造りのよう。広間の巨大テーブルの手斧の彫り跡が残る脚など、凝っていて見ていて飽きません。談話室は不思議な落ち着きがあり、大きく厚めのガラス窓が外とつながっているようでいて、しっかりと区切られた安心感もあります。

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■青淵文庫

渋沢が傘寿(80歳)のときに贈れられた建物。収蔵する予定だった書物は関東大震災で焼失してしまったため、主に客室として使用されたようです。彼は論語の重要性を説くために資料を収集し後世に残そうとしたそうです。晩香廬と同じく和洋折衷で、唐草模様の証明、家紋の意匠が施された手作業で造られたタイル、ステンドグラスなど控えめながらも美しい色に彩られています。

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■迎賓館 赤坂離宮
https://www.geihinkan.go.jp/akasaka/akasaka_news/asahisp_20190704-0910/

迎賓館が完全予約制の期間限定公開じゃなくなってから、何年かぶりかの見学。以前は本館のみの拝観でしたが、今回の目当ては和風館。こちらは国賓を招いて昼食会など招く際に使用される館で、予約が必要となっています。しかし和風別館と本館セットで予約が取れるので、非常に便利。

しかし警備は以前きたときよりも厳重に厳重でした。もしかしたら五輪の警備のテストも兼ねているのかもしれません。四谷を降りてまだまだ入り口の西門まで距離があるにもかかわらず、辻辻に係員がおり誘導されました。迎賓館については以前ブログにしるしたので割愛します。ただ、以前と違うのは「朝日の間」の大改修が行われた後で天井画が美しかったこと(描かれたのは作者不明、フランスの工房で描かれた女神オーロラ)、羽衣の間で皇室に置かれていた純白の「エラールピアノ」が展示されていたことです。

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あいにくの天気。写りきらない広さ


●和風別館 遊心亭
集合場所から係員に引率され庭園を抜けます。まず、「国賓は年に二組だけ呼ぶ」という国際的なルールがあることに驚きました。迎賓館初の国賓はアメリカのフォード大統領。エリザベス女王43歳の時、記念樹として持ってきた樫の木が庭園に植わっています。ウィンザー城からもってきたもので、もう一本はイギリス大使館にあるとのこと。

江戸三名園の三園の一つが迎賓館の前庭。帝国劇場、ホテルオークラを建てた人と同じ谷口吉郎が設計しました。

池は水盤としての役割をもち、もともと鯉は放していなかったそうです。新緑や紅葉の季節は庭園を眺めるだけでも美しいが、冬になると枯れてしまうので、せめてゆらめく水面の光が室内に反射するようにと、冬の日差しの傾斜を考慮して設えてあるそうです。ちなみにこの池は、3年前にトランプ大統領が来日した際に、餌箱をひっくり返して鯉に餌をあげたところを、報道された場所。あれは時間がなくなって安倍首相が行った通りのことを、トランプ大統領も真似して行っただけのことで、彼がずぼらで礼儀知らずだったという報道は、間違いです。メラニー夫人はそれを見てパパラッチされることをおそれ、「後で私も鯉に餌をやりたいわ」とお願いしたそうです。

玄関前には立派な盆栽。一番古い物は「しんぱく(漢字不明)」といって170年。夏は鉢植えが日光で熱せられてお湯になるので、昼間は水をやらず、早朝にあげるそう。逆に冬は朝夕にあげると凍ってしまうので、日が射してから水をあげるそうです。これらは玄関に飾られるのですが、盆栽は樹木なので季節を表すことができないため、脇にその時期の花の小さな鉢植えを添えるものなのだそう。まったく知りませんでした。メインとなる盆栽は主木、脇に置くものは添え物などと呼ぶそうです。

また、玄関から続く廊下の砂壁は、今は産出されない京都の鴨川上流からしか採れない川砂を使用していますし、ところどころに100万円以上もする人間国宝が手がけた薩摩焼きの巨大な焼き物などが、空間を彩ります。

大広間での会食はその時々により手配ができる料亭に頼むそうです。たとえば吉兆など。調理カウンターのある「即席料理室」は田舎の蕎麦屋のような設えで、少しほっとする空間。民芸のようなデザインの調度品がより朴訥とした雰囲気を醸します。しかし屋根の一本木の梁は立派な巨木から切り出したものですし、網代に編まれた天井も職人技による手作業で、凝ったものだそうです。
茶室は、茶室さながらの大きさではなく、ベンチがついた大人数が収容できる部屋。その一番先頭に座っている方から順に点てた抹茶を渡して行くそうです。

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トランプ大統領と安倍首相が鯉に餌をあげた池

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↑盆栽たち

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