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目黒雅叙園「百段雛まつり2019 青森・秋田・山形ひな紀行」 [★和の催し]

目黒雅叙園

先日、友人たちと着物を着て目黒雅叙園の「百段雛まつり2019 青森・秋田・山形ひな紀行」に行ってきました。
今回も非常にたくさんのことが見聞でき、大変勉強になりました。
こんなにも様々な願いが込められた雛があることにびっくり。 また、京都雛と関東雛の違いや、雅楽を象ったり五人囃子が稚児だったりとバリエーション様々の雛も見られました。

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 ・京雛と江戸雛
男雛(お殿様)と女雛(お姫様)の左右の位置。本来男雛は向かって右に配置されていました。
それは御所における玉座の位置にならっており、日本古来の「 左上右下」の考えの基になっています。 しかし現在一般的なのは関東雛といって、向かって左に男雛が座っています。それに相対して向かって右側に男雛が座っているものは京雛と言われます。

そもそもなぜ日本では、左は右より格が高いとされてきたのか。 それは、天皇が北を背に南に向かって鎮座したときに、左方向の東から日が昇るから。
それがなぜ逆転してしまったのか。それには大正天皇が関係しているとされています。明治時代、主に西洋の国際儀礼である「右が上位」の考え方が取り入れられるようになり、大正天皇が即位の礼で洋装姿で皇后陛下の右に立たれてからこの風習が広まったとされています。
また、今回飾られた物で京雛では【繧繝縁】に座り、関東雛はおそらく【大紋高麗縁】と思われる台座に座っていました。

他に記憶に残った事柄は…
・老夫婦をかたどった「百歳雛」
百歳まで共に歩むことを願った老夫婦の「百歳雛」。

・稚児の髪型は「強い毛を生やすため」
お稚児さんの五人囃子。稚児といえば独特の髪型ですよね。昔は「度剃ると強い毛が生えてくる」と信じられており、また、年齢によって毛を残す場所が異なっていると学芸員さんがおっしゃっていました。

・太夫雛
遊女の太夫で雛人形にはふさわしくないのでは…とも思いましたが、太夫は高い教養を兼ね備えているので、そのような存在になるようにと願いが込められているそう。とはいえ、大名家や武家・公家が飾るとは思えず。簡単な説明に少し疑問が残りました。

・古今雛
古今雛(こきんびな)とは、江戸後期に江戸で完成された雛人形。男雛は束帯、女雛は五衣唐衣裳(いわゆる十二単)と上級公家の正装を模しています。女雛が単の袖を長く出し、垂髪に宝冠を被るのが特徴で、現在の江戸雛はほぼこの潮流を汲んでいるようです。

ここから展示品順に書き綴ります。

●青森・弘前/[東京初公開]旧弘前藩主 津軽家の雛道具
最後の弘前藩主・津軽承昭(つぐあきら)伯爵が明治後期に誂えたとされる「蠟色笹唐草御紋付雛道具(ろいろささからくさごもんつきひなどうぐ)」。その長さ、 全て並べると16メートル!旧弘前藩主家の津軽家から博物館へ寄贈されたものです。明治時代に作られたものですが、大名家の婚礼道具そのもの。

●青森・八戸/遠藤家のお雛さま
八戸在住の遠藤氏の個人コレクションだそうです。有職雛や古今雛などどこか古めかしくも優麗なものと、童子顔の七福神などユニークなものも。

●青森・七戸/盛田家のお雛さま
南部藩が治めた城下町として発展した七戸。奥州街道の宿場町として栄え、かつては周辺経済の中心地でした。七戸の旧家・盛田家のお雛さまは、 江戸時代後期のものだそうです。

●秋田・由利本荘/本荘藩主 六郷家の古今雛と極小雛道具・本荘ごてんまり
第11代本荘藩主・六郷政鑑(ろくごうまさあきら)の娘、賀子(よしこ)様の婚礼祝いに贈られた雛人形と雛道具。精巧で極小の雛道具の数々は圧巻! 毛抜きや盥、お歯黒道具の化粧品からなんとわずか4センチほどの碁盤や、碁石まで。 約50種類、総数でおよそ450個もあるそうです。しかも総漆塗りで金蒔絵細工。 作ったのは江戸上野の「七澤屋物」。江戸時代後期から幕末期にかけての物だそうです。 また、初めて目にする「ごてんまり」に感動。色とりどりの刺繍に彩られた直径25~30センチほどの鞠にうっとり。部屋を埋め尽くしたらきれいだろうな。

●秋田・湯沢/京野家のお雛さま

●山形・酒田/酒田雛街道と傘福
日本三大つるし飾りの一つに数えられている「傘福」が、華やかながらもどこか親しみがあり、ほっとする空間でした。また、天保三年(1832 年)創業という、御菓子司「小松屋」のお雛菓子と木型も合わせて展示。その美しさにうっとり。可愛さあまって食欲100倍!?

●山形・酒田/加藤家のお雛さま
酒田の旧家、加藤家のお雛さま。高さ40cmほどもある、大きめの人形でした。 注目は「胡蝶の舞」を披露する人形。 百歳まで共に歩むことを願った老夫婦の「百歳雛」が男雛女雛の向かって左に配置されていました。京の都の様子が描かれた屏風をみると、 これが東北の物だとは到底思えませんでした。

●山形・河北町/紅花の里の雛まつり
山形県河北町は、紅花の里として知られているようです。紅花は中国から渡来し東北地方でも栽培されるようになり、京都や大阪へ出荷されたとのこと。 ここのエリアかは忘れましたが、紅花で染めた濃い緋色のしっとりした着物が飾られており、大変美しかったです 最上階では「八戸えんぶり」などのお祭りを模した郷土玩具が勢揃い。暖かみのある個性的な作品が並んでいました。

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↑撮影可能な雛人形。上は現代の作家物、下は古今雛と立雛
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↑カフェ「pandora」でイタリアンモッツァレラバーガーとアフタヌーンティー

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ユダヤと日本 謎の古代史 [小説・本]

お気に入り度 ★★★☆☆

■日本神道とユダヤ神教の共通点に目から鱗

ユダヤと日本謎の古代史

ユダヤと日本謎の古代史

  • 作者: M・トケィヤー
  • 出版社/メーカー: 産能大出版部
  • 発売日: 1975/06/25
  • メディア: 単行本

ユダヤ教のラビと、日本人大学教授との問答形式で語られた本。紛い物のオカルト本でもなく、こじつけの解説本でもなく、あくまで客観的に、日本とユダヤの神道の共通点、歴史的にみた関わりを論じている。

特に目から鱗だったのは、シルクロードの形成は、ローマを追われたユダヤ人が発端だったということ。ユダヤ人は絹織物技術に秀で、それを生業としたいた商人が多く、かつてアメリカの機織物財閥系はユダヤ起業家が独占していたという。商売をしながら東へ東へと、果ては中国にまでコミューンを作っていたというのである!

なるほど、私達日本人はシルクロードというと、どうしても中国を連想しがちだが、道は広大な中国を通っているだけであって、中国発祥ではなかったのである。日本には中国からあらゆるものが流入してきたので、そのような錯覚をしてしまうのだ。

ほかに記憶に残った特徴的な共通点を挙げると…
・神聖な場所に入る前に、きれいな水で穢れを払うという行為をするのは、日本とユダヤだけである。その水自体をも汚さない、ということを含めて。
・また、塩で穢れを祓うという概念はラビが知る限り日本とユダヤだけが持つ。
・菊の文様が嘆きの壁に彫られている。
・六芒星が伊勢神宮の外宮近くの石灯籠に刻まれている。日本では籠目と呼ばれているこの紋様は、ユダヤでも魔除けとして使われる。
・失われた十士族が日本に着いたとはっきりは言いがたいが、祇園祭で見られる山車の模様には、出エジプト記をなぞらえた絵柄の織物が使われている。
・ヤッホー=ヤハウェ、高天原=タガーマハラン(ノアの箱舟がアララト山に乗り上げた周辺地域の名)、えいさ=イサ、みかど=ミカドル(高貴な人)など、聖なるものをさす言葉に日本語とヘブライ語の発音が似ている。

他にも例をあげればきりがありません。古代ヘブライ語とひらがなは形も発音もそっくりだそうです。
jこの本をきっかけに、「日ユ同祖論」に興味を持ち、いくつか書籍も読みました。
飛鳥時代の渡来系である秦氏が、ユダヤ人だったという説もあります。
古代ロマンは真相はわからないからこそ、非常に人を惹きつけますね。現代に残ったアイテムをかき集めても推測するしかありませんから。きっと皇室や神宮に所蔵されていて、公開されない秘匿の宝物などにヒントは眠っているのでしょう。
とにかく好奇心をかきたてること間違いなしです。

秦氏の研究―日本の文化と信仰に深く関与した渡来集団の研究

秦氏の研究―日本の文化と信仰に深く関与した渡来集団の研究

  • 作者: 大和 岩雄
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 1993/08/01
  • メディア: ハードカバー
秦氏の謎とユダヤ人渡来伝説 (PHP文庫)

秦氏の謎とユダヤ人渡来伝説 (PHP文庫)

  • 作者: 坂東 誠
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • 発売日: 2016/06/03
  • メディア: 文庫

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2/3 古武道演武大会@武道館 [★和の催し]

●HP…https://www.nipponbudokan.or.jp/shinkoujigyou/gyouji_06

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武道館で始めて武道を見ました。
3年前にこの大会を知り、ずっと来たかったのですがなかなかタイミングが合わず。
演武は11:00から始まり、15:52まで。休憩は13:16からの20分だけ。一見とても長時間に感じられますが35もの流派が持ち時間8分ほどで次々に行うので、あっという間に感じました。
しかも古武道というだけあってどの流派も歴史が長く、起源をパンフレットで確認するだけでも精一杯。
初代征夷大将軍の坂上田村麻呂が起こした剣道「諸賞流和」や、宮本武蔵の剣を伝承する「兵法二天一流剣術」など歴史上の人物が絡む武芸が続々登場し興奮。

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↑示現流には外国人が多い


また各藩が採用していた武芸をたくさん見られることも楽しみの一つ。天正時代、田宮平兵衛業正を流祖として伝わった徳川紀州藩の武芸「田宮流」薩摩藩の「示現流」など。概ね関東以北の剣道では気合の掛け声が少なく、西日本では掛け声けたたましくまた外国人の演武者が多いと感じた。東は静寂の中にピンとした空気が張り詰める剣が多かったのに対し、西は威勢よく相手を圧する剣が多かったように思います。

茶の湯から宮中行事のしきたりまで幅広いしきたりを伝授する「小笠原流」、徳川三代吉宗を育てた柳生宗矩の「柳生新陰流兵法剣術」、幕末志士たちをたくさん育てた「北辰一刀流」、江戸四大道場の一つ「心形刀流剣術」など有名どころもずらり。
心形刀流はあの幕臣、伊庭八郎が宗家を継いだ剣術。三百余年前に伊庭是水軒秀明が開創した流派です。そのなかで比較的新しく幕末は「田舎剣法」と揶揄された試衛館の「天然理心流剣術」が招致されていることに嬉しさを覚えました。150年経てば古武道に入れてもらえるのかな。

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↑天然理心流の特徴、ごんぶと木刀で素振り

記憶に残ったのは… 武者鎧をつけて行う「初實剣理方一流甲冑抜刀術」(下)。兜を外して盾代わりにするなど、武具の知られざる使い方を見せてくれました。
荒木流拳法では鎖鎌の実演に沸き、「琉球古武術」では櫂や木の棒など手近な物で戦う方法を知り、最後の「陽流砲術」では手持ち大砲の音の大きさと威力に驚きました。危険なので砲弾が向けられる座席に座っていると、退席を促されます。最初からその席は避けた方が楽でしょう。消化器と共に出場してきたので、本当にドキドキしました。


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↑わかりずらいかもしれませんが、兜を脱いでいます

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↑座り方にも「型」がありそうです

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↑徳川と縁の深い柳生心陰流
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↑椅子を持参する流派も

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↑示現流。気合いと共に乱れ打ち
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↑手裏剣術。あくまで先手攻撃、このあと剣でとどめをさします
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↑いわゆる奥女中たちの薙刀(なぎなた)術
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↑荒木流拳法の鎖がまです
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↑砲弾の準備
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↑実射のあとは煙が立ちこめました


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