伝通院 [◆小石川・新撰組めぐり]
↑広々とした境内
↑一見ぎょっとする指塚ですが由来をみるとナルホドです
↑けしてgood!ではない
↑左下のてすりの奥にお手洗いあり
徳川家康の生母、お大の方の菩提寺。
ほかにも家康の側室・お奈津や、二代目秀忠の長女・千姫、三代家光次男・家光の正室などが眠っている。
昔は大伽藍を擁していたようだが、いまや右手には報徳学院のモダンな建物も眩しく、こざっぱりとしてがらんとしてる。ややもの寂しい感じがした
江戸時代に・明治と三回の大火にあい、さらに第二次世界大戦でまたも燃えてしまったというから、しょうがないのかもしれない。
宝物全て灰燼に帰してしまったそうな。
歴史は後からみえてくるが、本当に戦争で失ったものは計り知れない
しかしさすが徳川菩提寺、今は【観音堂】という休憩所までこしらえてある。
本堂向かって左下、スロープをくだるとトイレがあり、とても清潔にしてある。ついたのは16時ごろだったが、私たちが観音堂でお墓参りのリーフレットを購入し終わるとすぐ閉まってしまったので、お墓参りをするなら早めのほうがいい。
本堂はしまっていたが、賽銭箱などが表に出ていないので失礼して扉をあけると、参拝用に焼香などしつらえてありました。
清潔にしていて、本尊のほかに開祖と思われる像や、観音様など左右に安置されていたが、どれも焼香の灰は暖かく、毎日人の手がきちんと入っている感じがした
↑観音堂にある、家康に贈られた子供用鎧の復元
↑生涯家康の支えになったといわれている
↑千姫の墓
↑亀松の墓。鳥居?の高さは低い。こういうタイプのお墓をよくみるが、必ず頭を下げて通るようにするためなのだろうか
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