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鶯亭~根津のつつじ祭り [◇江戸寺社・史跡めぐり]

■鶯亭

上野公園内にあります。精養軒でご飯を頂いて散歩した後にお茶を。実は手前の上野東照宮や古い屋台に目が行き、いつも見逃してしまっていました。人気もなく、静かで、上野公園の喧騒が嘘のよう。


こちらは注文すると料金は卓上で前払いとなります。
名物の鶯団子は言問団子をほうふつとさせます。一口では大きいので、黒文字で半分に切り分けます。しっかりとした歯ごたえで美味。あんみつは白蜜で見た目すっきりですがけっこう甘いです。

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■根津神社

もう行き飽きているほど訪れている根津神社。しかし神社は何度来ても心穏やかになりますね。
しかしつつじ祭り期間中は初めてでしたので、再び根津神社の魅力を再発見できました。
また、令和元年最初のご朱印をこちらでいただきました。
一つ残念だったのは、5月5日の端午の節句の厄払いの粽(ちまき)が、成り手不足で頒布中止になったとのこと。誰か引き継がなかったのか…。私が引き継ぎたいくらい。
その代り、粽を記した護符が用意されていました。

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皇族が一人ずつ持っているというお印。愛子様のお印の象徴となっている植物です
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境内にいたワンコ。有名な「まる」かな?
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3/30 皇居乾通り一般公開 [◇江戸寺社・史跡めぐり]

皇居乾通り一般公開に行ってきました。

南の坂下門から宮内庁の脇を通り抜け、ほぼ一直線に北の乾門まで突き進みます。

以前来たのは一般参賀の5、6年前?そのときよりも宮内庁への仕切りのロープが建物に近づいた気がします(笑)。

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↑宮内庁!どん!中庭か吹き抜けのような造りが垣間見えました

 

よく観察しなければなんてことはないただの一本道で、右手には「蓮池堀(はすいけぼり)」と「乾堀(いぬいぼり)」、左手には風雨にさらされ古びた塀が立ち並びます。

しかしところどころ、太田道灌が初めて江戸に築城した際に造ったという『道灌堀』や、『局門』など、普段見られない貴重な風景が見られるのも確かです。

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↑暗めですが道灌堀です

そして西の丸の一端に足を踏み入れるというプレミア感に加え、本丸西側の石垣を眺めるという「江戸城広すぎて迷子になっちゃうよ」という、初めて参勤交代に追随した田舎武士のような気分も味わえます。

 

乾通りは見渡しのきく一直線の道で散歩するには何の変哲もありませんが、いざ戦争という段になれば、侵入者は本丸側の城壁から丸見え。堀がありますから飛び込むわけにも行かず、ひたすら身を隠す暇も無く通りを右往左往することでしょう。ちなみに坂下門からちらりと見える「富士見多聞」は優雅な前ですが武器庫です。

 

途中道が二股に分かれ、乾門から退出するか「西桔橋を渡り本丸へと右折するか二択を迫られます。後戻りができないのが辛いところです。私は『三の丸尚蔵館』へ行きたかったので本丸へ向かいましたが、乾門も見たいし本丸も見たい人には非常に不親切ですね。

本丸へ右折すると堀から野面積みされた城壁が迫ってくるよう。「西跳橋」は左右から立派な松の木がせり出し、天然の「松の廊下」といいたくなる風情で素敵。

城壁の際(きわ)は「切り込み接ぎ」ですが、中央に向かって違う大きさの石を積み上げる「野面積み」が多いという印象。「乱層積み」とでもいいますか。江戸城大手門の「切込み接ぎの布積(ぬのづみ)」は何度見ても凄いと思う代物。

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↑桜がきれいです
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↑乾門です
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↑西桔橋を渡り本丸へ
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局門
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↑長屋門
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↑石垣に家紋でしょうか?
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↑同心番所

 

●三の丸尚蔵館

 

『御製・御歌でたどる両陛下の30年』が開催されていました。

天皇陛下が詠まれた歌は『御製』、皇后陛下が詠まれた歌は『御歌』と区別していました。

 

日本は「左上位」思想がありましたが、大正天皇から西洋にならい公の場にお出ましになるときは必ず「右上位」になってしまいました。ですので両陛下の写真では必ず皇后様が左(向かって右)に立っていらっしゃいます。

 

しかしこの歌を並べるときは、天皇陛下の歌が左に飾られていたので、こういう物は左上位にするのだなというただ単純な驚きと共に、右上位をなんとか止めてもらいたいという、もどかしい気持ちになりました。

 

美智子様が天皇陛下のことを思いやって詠んだ歌が多く、「君よ」の呼びかけに胸が熱くなりました。
両陛下のお人柄に触れると、わけもなく目頭が熱くなります。

このお二人ほど粛々と自分の立場で出来る最大限のことをし、国民のことを考えて行動している方はいないのではないでしょうか。

 

また、歌の他に美智子様が手をかけていた蚕による正絹の反物や、正倉院にて保存されていた絹織物の再現作品など、貴重な品もありました。日本古来の蚕の希少種は「小石丸」というそうです。

なんだか可愛らしい名前ですね。

皇位継承の際に明仁様が贈られたブローチ、美智子様が贈られたカフスなど、素晴らしい品々も拝見することが出来、また、等身大の肖像画も拝見することができました。

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波除け神社で初詣 築地市場 [◇江戸寺社・史跡めぐり]

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●http://namiyoke.or.jp/jinjyanogosyoukai.html


今年の初詣は、職場から近いので波除け神社に。

ここは気づきにくいのですが稲荷神社です。祭神は「うがのみたまのみこと」です。

何度も訪れているのに初めて知ったのですが、一年を通して毎月七日に七福神の御朱印を一体ずついただけて、すべて集めると年末に記念品を頂けるそうです。

ちなみに、七福神のどれか一体だけでもいいので、年末に持って行くと宝船の絵を頂けるそうです。


今年は御守りというより願掛けの意味合いが強い「干支守り」を頂きました。自分の干支の灯籠に願い事を込めて玉を置き、もう一つ同じ玉をお守り袋にいれて持ち歩くと成就するそうです。

私は浅ましくも金運上昇を選択。 でも誰かを幸せにしたり経済活動の一助になるためなら、お金は決して悪いものではありませんよね!


>>由来抜粋

そして70年の後、明暦の大火の後に4代将軍家綱公が手がけた最後の埋立の工事困難を極めたのが、この築地海面でした。堤防を築いても築いても激波にさらわれてしまうのです。 或夜の事、海面を光りを放って漂うものがあり、人々は不思議に思って船を出してみると、それは立派な稲荷大神の御神体でした。皆は畏れて、早速現在の地に社殿を作りお祀りして、皆で盛大なお祭をしました。ところがそれからというものは、波風がピタリとおさまり、工事はやすやすと進み埋立も終了致しました。萬治2年(1659)の事です。 


とあります。浅草寺の観音も海から拾われたことが始まりですよね。あたかも神意により仏が現れたという、こういった伝説は各地に多いのでしょうか。

波除け神社七福神はある芸術家が作った牧歌的なフィギュアで、頭に魚介類を載せています。とても可愛らしい。

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