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3/30 皇居乾通り一般公開 [◇江戸寺社・史跡めぐり]

皇居乾通り一般公開に行ってきました。

南の坂下門から宮内庁の脇を通り抜け、ほぼ一直線に北の乾門まで突き進みます。

以前来たのは一般参賀の5、6年前?そのときよりも宮内庁への仕切りのロープが建物に近づいた気がします(笑)。

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↑宮内庁!どん!中庭か吹き抜けのような造りが垣間見えました

 

よく観察しなければなんてことはないただの一本道で、右手には「蓮池堀(はすいけぼり)」と「乾堀(いぬいぼり)」、左手には風雨にさらされ古びた塀が立ち並びます。

しかしところどころ、太田道灌が初めて江戸に築城した際に造ったという『道灌堀』や、『局門』など、普段見られない貴重な風景が見られるのも確かです。

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↑暗めですが道灌堀です

そして西の丸の一端に足を踏み入れるというプレミア感に加え、本丸西側の石垣を眺めるという「江戸城広すぎて迷子になっちゃうよ」という、初めて参勤交代に追随した田舎武士のような気分も味わえます。

 

乾通りは見渡しのきく一直線の道で散歩するには何の変哲もありませんが、いざ戦争という段になれば、侵入者は本丸側の城壁から丸見え。堀がありますから飛び込むわけにも行かず、ひたすら身を隠す暇も無く通りを右往左往することでしょう。ちなみに坂下門からちらりと見える「富士見多聞」は優雅な前ですが武器庫です。

 

途中道が二股に分かれ、乾門から退出するか「西桔橋を渡り本丸へと右折するか二択を迫られます。後戻りができないのが辛いところです。私は『三の丸尚蔵館』へ行きたかったので本丸へ向かいましたが、乾門も見たいし本丸も見たい人には非常に不親切ですね。

本丸へ右折すると堀から野面積みされた城壁が迫ってくるよう。「西跳橋」は左右から立派な松の木がせり出し、天然の「松の廊下」といいたくなる風情で素敵。

城壁の際(きわ)は「切り込み接ぎ」ですが、中央に向かって違う大きさの石を積み上げる「野面積み」が多いという印象。「乱層積み」とでもいいますか。江戸城大手門の「切込み接ぎの布積(ぬのづみ)」は何度見ても凄いと思う代物。

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↑桜がきれいです
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↑乾門です
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↑西桔橋を渡り本丸へ
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局門
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↑長屋門
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↑石垣に家紋でしょうか?
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↑同心番所

 

●三の丸尚蔵館

 

『御製・御歌でたどる両陛下の30年』が開催されていました。

天皇陛下が詠まれた歌は『御製』、皇后陛下が詠まれた歌は『御歌』と区別していました。

 

日本は「左上位」思想がありましたが、大正天皇から西洋にならい公の場にお出ましになるときは必ず「右上位」になってしまいました。ですので両陛下の写真では必ず皇后様が左(向かって右)に立っていらっしゃいます。

 

しかしこの歌を並べるときは、天皇陛下の歌が左に飾られていたので、こういう物は左上位にするのだなというただ単純な驚きと共に、右上位をなんとか止めてもらいたいという、もどかしい気持ちになりました。

 

美智子様が天皇陛下のことを思いやって詠んだ歌が多く、「君よ」の呼びかけに胸が熱くなりました。
両陛下のお人柄に触れると、わけもなく目頭が熱くなります。

このお二人ほど粛々と自分の立場で出来る最大限のことをし、国民のことを考えて行動している方はいないのではないでしょうか。

 

また、歌の他に美智子様が手をかけていた蚕による正絹の反物や、正倉院にて保存されていた絹織物の再現作品など、貴重な品もありました。日本古来の蚕の希少種は「小石丸」というそうです。

なんだか可愛らしい名前ですね。

皇位継承の際に明仁様が贈られたブローチ、美智子様が贈られたカフスなど、素晴らしい品々も拝見することが出来、また、等身大の肖像画も拝見することができました。

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