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里見公園~市川市に眠る「里見八犬伝」で有名な里見氏の痕跡 [千葉県]

4月上旬の、久しぶりの史跡巡りレポです。

おおよそ行きつくしてしまった都内の史跡。

今回は久々の柴又~一度は体験したかった矢切の渡しの渡し舟に乗りました。

柴又はちょっと行きづらい場所だとは思うので、JR新小岩駅からバスで行くという手もあります。


■柴又帝釈天

日曜午前中、そこそこの人。東南アジア系の観光客が目立つ。

帝釈天の門の前に桜。

煎餅屋さんは大きなお店より、手焼きで焼いている「浅野屋」さんが添加物が一切入っておらずおすすめ。

味もあっさりとしていて、米の風味が際立っています。


気になったのは通りを歩いていてチラホラと目に留まる「一万円は出さないでください」という張り紙…。
しかし一万円札しかない場合はどうしたらいいのか。罪悪感という壁を与えるのは、愚策ではないだろうか。

これではみすみす客を敬遠させているようなもので…。


惜しまれながら閉店してしまった「川甚」さんの脇を通り土手に上がると、菜の花と桜という見事なまでの牧歌的な風景を見ることができます。これぞ寅さんの世界ですね。


■矢切の渡し

突っ込みづらい「ぶつぶつ独り言」系の落語家のような船頭さんがいます。私は平気だけど人によっては、ゆったり景色を楽しみたい…という人もいるでしょう。

乗船時間は片道5分ほど。立派な櫂がありますが、船はモーターを使用していました。船頭さんに聞くと「もう疲れちゃったので」と話されていました(笑)。
対岸に渡ると、昭和の値段でスーパーボールなど玩具を売っている露店があります。


■里見公園

https://www.city.ichikawa.lg.jp/gre04/1111000001.html


川沿いに桜を愛でながら20分ほど歩くと「里見公園」につきます。

ここは「国府台城跡」があり、最初は太田道灌が築城し、時代が下がるとあの「里見八犬伝」のモチーフになった里見氏が北条氏を迎撃するために陣を構えた場所でもあります。

里見広次の姫が、父親の亡骸を弔うためにはるばるやってきて、戦場の凄惨さに胸を潰して泣き果てて亡くなってしまったという「夜無き石」がありますが、広次は十代で娘はいなかったことから、後世の創作ではと思われます。

また7世紀と思われる古墳の跡や、北原白秋が小岩で執筆活動をしていた離れの復元、「市川市標高最高地点」など、高低差のある小高い敷地の中に、さまざまな史跡が点在している面白さがあります。
また思い思いにくつろげる芝生エリアや、遊具のあるエリア、西洋式庭園のバラ園など、公園としての自由度も高いです。

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【矢切の渡し】
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【里見公園】
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【市川関所跡】
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諏訪大社めぐり/上社本宮・上社前宮 [長野県]

茅野駅から徒歩30分。
茅野駅からはバスが出ていない。
おそらく茅野駅は茅野市だが、諏訪大社は諏訪市に住所があるからだろう。
しかし前宮は茅野市。だったら巡回バスがでてもよかろうものなのにな、とも思う。


私たちはふだん山歩きをしているから、歩くのはなんともない。また、歩くことでその町が見えてくることもあり、文化を感じられて好きだ。
今回は大晦日だったので、各々の家庭のしめ飾りを拝見するのも楽しく、道路前の雪解けで足を滑らせて寒い地方の苦労などに思いを寄せたりしている間に、あっという間についてしまった。

念願の諏訪大社は一部残念ながら工事中でしたが、質実剛健な雰囲気と巨木の数々に歴史の重みを感じた。
不思議なもので、この社殿は正面の門に対して正座しておらず、左を折れたところに鎮座している。
守屋山がご神体なので、その方面を向いているのだろうか。

しかし実は守屋山=ご神体とは、正式には語られていないそうです。
守屋山にはユダヤ伝説がある。
上社でも最大の神事である「御頭祭(おんとうさい)」など、ここは不思議な伝承に彩られている。
現在は剥製が使われているが、かつては「鹿の頭を75頭分」、「白い兎を松の棒で串刺しにしたもの」や、「鹿の脳和え・生鹿・生兎・切兎・兎煎る・鹿の五臓など」を盛ったものがお供えされたという。
さらには御贄柱に8歳ほどの「御神(おんこう)」という子供を縛りつけ、神官が小刀で刺そうとした瞬間に止めて子供は解放される、という流れの神事も行われていたとか。この様子は江戸時代の研究家・菅江真澄が記していますが、不思議なことに、発祥や由来がはっきりとわからないそうだ。

諏訪大社と守屋山のユダヤ人伝説やユダヤ教の儀式と類似点を列挙すると…
・「モリヤ」はユダヤ人の国イスラエルの首都エルサレムにある山の名前と同音。
・「御神」の「神官が小刀で刺そうとした瞬間に止めて子供は解放される」というくだりが、旧約聖書の「イサクの生贄」にそっくり。
・御頭祭は別名「ミサクチの祭」と呼ばれているが「ミサクチ」はヘブライ語で「ミイツハク」に似ており「イサク由来の」という意味である。
諏訪大社の創建は『古事記』によると
“建御雷尊(たけみかづちのみこと)が大国主命に国譲りするように迫った際に、大国主命の次男の建御名方命が建御雷尊に戦いを挑んで阻止しようとした。しかし建御名方命は負けてしまい、諏訪の地まで逃れた”
ということで、この建御名方命の現代神として諏訪氏は君臨し、代々「大祝(おおほうり)」と呼ばれる神職を世襲で務めました。
一方、守矢氏はいつごろから諏訪にいたのかはっきりしないが、古くからこの土地に住んでいたことは間違いなく、地元の神話にも同音の洩矢神(もりやのかみ)が登場する。
すると、出雲から諏訪に来た諏訪氏と守矢氏が争いをして守矢が負け、国を譲る代わりに諏訪大社の祭祀を務めるようになったという仮説が成り立つ。
守屋山=ご神体というのも、もしかしたら元々土着だった守矢氏の信仰や伝説が元になっているのかもしれない。

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青山熊野神社で初詣 [◇江戸寺社・史跡めぐり]

五十猛ノ命(いだけるのみこと)
大屋津姫ノ命(おおやつひめのみこと)
抓津姫ノ命(つまつひめのみこと)
伊弉冊ノ命(いざなみのみこと)
1月7日、ラグビー観戦の帰りに立ち寄りました。
植林、樹林の神様として尊敬を集める神社だそうです。
元和五年、徳川頼宣卿の邸内に奉斎されていた神社を、町民の願いにより、正保元年正月七日に現在地に移遷したそうです。
なんと訪れた日と一緒!
熊野大権現と称されていましたが神仏分離により社号を青山熊野神社と改称したそうです。大権現は神が仏の姿を借りたものとされているので、「大権現」の名は廃しされたのですね。
徳川頼宣は、紀伊和歌山藩の初代藩主で紀伊徳川家の祖です。紀州と言えば現在の和歌山、熊野の山が広がる地域ですので熊野神社というのもうなずけます。
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タグ:史跡めぐり
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