芭蕉庵~椿山荘~鳩山会館 [◇江戸寺社・史跡めぐり]
>>看板引用
江戸時代を代表する俳人松尾芭蕉(1644~1694)が、2度目の江戸入りの後、1677年から3年間この地に住んだ。当時、旧主筋の藤堂家が神田上水の改修工事を行っていて、芭蕉はこれにたずさわり、工事現場か水番屋に住んだといわれる。
その水番屋が「龍隠庵」という名前で、芭蕉の死後いつしか人々が関口芭蕉庵と呼ぶようになった・・・ということらしい。
番屋の命名はきっと芭蕉自ら呼んだのだろうと推測する。
建物は焼失し、現在のものは第2次大戦後の建築だそうです。
正門は閉ざされ、胸突き坂の方に入口があります。こじんまりとしつつも、池と橋を設けた回遊式庭園の体になっていて、なかなか情緒があります。
■椿山荘
遊歩道を江戸川橋方面へぷらぷらといくと、本館からは裏手になるのでしょうが、庭園へと誘う入口があります。
以前も永青文庫の帰りにこちらへ立ち寄り、【無茶庵】でおそばを頂きました。この日も鴨そばを頂き、体が温まりました。
■鳩山会館
政治家の鳩山一族に何の思い入れもないが、永青文庫から近かったので立ち寄ってみた。
ジョサイア・コンドルの古河庭園とまではいかないが、それなりに瀟洒な洋館。
きっと薔薇が咲き誇っていたら、もっと美しかっただろう。
関東大震災の翌年、大正13年に建築。
崩落の危険があり外された屋根のオブジェや、傷みが激しくて改装した経過を説明したパネルなどが展示されていた。
常々思うのだが、コンクリートは本当に脆弱だなぁ。
広いサンルーム、二階の大広間など、調度品もないせいか、妙にさっぱりとしている。
柱や窓枠などに、欧州のそれと比べてあまり装飾性がないからだろう。
古河庭園などと違い、実際に使用した食器棚やソファなどに日常感をたっぷり感じる。
鳩山政権時代の、各国首相との贈答品を眺めるのは楽しい。
中国人民対外友好協会からの金ぴかの鑑真像には笑った。お国柄が出ますねぇ。
バラク・オバマからのガラスツリーの置物は、彼の純朴な人柄を彷彿とさせる。シンプルで豪華すぎず、ステキ。
二階は友紀夫氏の祖父一郎氏、父の威一郎氏の遺留品を展示。
陛下から内閣総理大臣に指名する任命状などなど。
位階令は戦後、個人に対する顕彰制度に改革されたことを知りました。
戦後生きているうちにあげることも少なくなり、形骸化したということなのだろうか。
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