虎ノ門めぐり①金比羅宮 [◇江戸寺社・史跡めぐり]
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>>立札抜粋
当宮は万治三年(1660年)に讃岐国丸亀藩主であった京極高和が、その藩領内である象頭山に鎮座する、金刀比羅宮(本宮)の御分霊を当時藩邸があった芝・三田の地に勧請し、延宝七年(1679年)、京極高豊の代に現在の虎ノ門(江戸城の裏鬼門にあたる)に遷座致しました。爾来江戸市民の熱烈なる要請に応え、毎月十日に限り邸内を開き、参拝を許可しました。
当時は“金毘羅大権現”と称されていましたが、明治二年(1869年)、神仏分離の神祇官の沙汰により事比羅神社に、明治二十二年(1889年)には金刀比羅宮に社号を改称し現在に至ります。
ご神徳は海上守護、大漁満足は勿論のこと、五穀豊穣・殖産興業・招福除災の神として広く庶民に尊信され、東国名社の一つとして知られています。
大名屋敷の敷地内にあった金毘羅さん。
今は気軽に「一般公開」といいますが、江戸時代は封建制度なのでその名の通り平民は「一般人」。
職人・商人以外は普段足を踏み入れることは皆無といっていい場所に、どのような気持ちで入ったのっでしょうか。
緊張でしょうか、それとも花見でもするように気軽な気持ちだったのでしょうか。
武家の方も、奥方たちは気軽に出歩けないので、日ごろ接しない町人たちを障子の隙間から覗いて楽しんでいたのだろうか。
そのほか警備体制はどうだったのかとか、色々気になります。
ビルに取り込まれた建築物になっていますが、自然の中に無い神社は嫌ですね〜。
人工物そのものでしかないイスラム・キリスト教会とは違い、自然との一体感が無い神社は神秘性が損なわれます。
しかし、建築の方位的に道路に対して斜めになっていることから、方位や鎮座の場所が大事な神道において、その場所だけは動かしていないだろうということが想像できる。
都会の生き残り戦略としてはしょうがないのかもしれません。
そういえば、日本古来の神を祀る新しい神社は造営されているのでしょうか(建て替えではなく)。
現代まで存続したものが、廃社され、徐々に減っている一方なのでしょうか。
ビルを眺めながらふと思いました。
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