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神谷町めぐり⑦NHK放送博物館 [歴史あれこれ]

●HP…http://www.nhk.or.jp/museum/

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↑愛宕トンネルが開通した時の記事。ドテッ腹なんて表現は、今は禁止されていそうです

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↑エレベーターで降りるとトンネル脇に出ます

愛宕山山頂、神社に隣接しています。
1925年、芝浦でラジオのテスト放送がされてから4カ月後、愛宕山で日本で初めてラジオが本放送されてから今までの歴史を様々な展示品で紹介する博物館。

文字だらけで辟易してしまう情報量ではなく、老若男女楽しめる展示になっていると思う。
が、やはり切っても切れないのは戦争で、玉音放送や2・26事件で青年将校に投降を呼びかけるメッセージなど、ドキリとするものがあって、肉声で改めて聞くと平和ぼけの頭にはっと覚醒させられる迫力がある。

最近は「はだしのゲン」を読み聞かせて、水が欲しくて彷徨う被爆者たちはなぜ自動販売機で飲み物を買わなかったのか、などと質問する子供もいるようだから、子供のうちから「現代とのあまりの世界(価値観)の違い」をぼんやりとでもわかってもらうのに、うってつけの場所ではないかと思う。

展示品の前に立つと黒柳徹子など著名人のナレーションが流れて説明してくれるシステムもあるし、懐かしの「にこにこぷん」がドーンと鎮座する体験スタジオでは、「実際のお天気カメラ」を動かせるし、衛星放送のコーナーでは「かぐや」が撮影した美しいハイビジョンの月から昇る地球の映像にうっとりできるしで、時間を忘れて楽しめました。

印象に残ったのは、テレビ放送開始の告知をする街宣車への人だかりや、地方でのテレビ放送記念の特設会場での人の賑わい。
放送内容ではなく、「動画が放送されること」自体が画期的なので、一目見たさに何万人も並んだという熱気が写真から伝わりました。

また、時報のお知らせはアナウンサーが銅鑼で叩いていたとか、ラジオドラマでは役者がきちんと衣装をつけてマイクの前で演技したとか、初期のテレビドラマのセットの小ささに悪戦苦闘していることなど知ることができて面白い。
個人的に「鬼平」脚本家の台本が「放送文化賞」コーナーにあったのが嬉しかったですね。

それにしても黒柳徹子は本当にテレビの生き字引ですね。入社当初は声がキンキンして五月蠅いから、アナウンサーとしては誰も使ってくれなかったなどという自虐的笑い話が、自動アナウンスに録音されていました。あの闊達な声で。


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