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神谷町めぐり⑥愛宕神社 [◇江戸寺社・史跡めぐり]

●HP…http://www.atago-jinja.com/
>>幕末ポイント…桜田門外の変で水戸藩士が集合・西郷隆盛と勝海舟が会談

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↑あまりの怖さにへっぴり腰に

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愛宕神社は、徳川家康公が江戸に幕府開府の際に防火・防災の守り神として創建、1634年には家光の前で、四国丸亀藩の曲垣平九郎盛澄が騎馬にて男坂を駆け上ったことが有名ですが、幕末の舞台にもなりました。

まずは「桜田門外の変」で、大老・井伊直弼をうつべく水戸藩士がここで集合、襲撃成功の祈願をしたといいます。藩士たちはその後散り散りに逃げたのでここで自害したわけではありませんが、彼らを供養するかのように名前が彫られている石柱がありました。

大政奉還の後は、勝海舟が西郷隆盛と一緒にこの愛宕山に登り、江戸の景色を見せながら江戸総攻撃の取りやめを相談したといいます。
この二人は田町にある薩摩藩邸でも会談しているし、池上本門寺の庭園でも会談しているが、この愛宕に来たという文書での確証はどうやら無いようです。
もし本当に訪れたのであれば、江戸の景色を一望したことで多少なりとも影響を与えたと思う。
幕末写真家のF.ベアトもここからパノラマ写真を撮影し、江戸時代の貴重な資料となっています。
JIN-仁-】という漫画原作のドラマでも、オープニングでこのベアトの写真が印象的に使われていました。

また、昭和二十年には「ここで尊攘義軍十烈士が敗戦の国を憂い自刃した」とあります。
第二次世界大戦…ですね。それも幕末から続く尊皇攘夷の一種の継続といえるかもしれません。
形や方法は違えど国を思う人達が、様々な思いでここにきたのですね。

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↑工事中だったので、車や工事用具が散乱していました

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↑足場が組まれていて見栄えはよくない

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↑家光に献上したという梅

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↑猿田彦(天狗の祖といわれる)神のこと

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↑石にみえて、木彫りでした

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