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木屋町通りの幕末スポット① [◆京都・幕末めぐり]

■幕末史跡案内図

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【武市瑞山寓居跡】

武市半平太、の方が通りがいいかもしれませんね。
土佐の下士として生まれながら、聡明で土佐勤皇党を結成した人物。
京都から土佐に帰国命令が出た後、吉田東洋殺害の嫌疑で投獄、処刑されました。
まあ有名なので割愛しますw。
それにしても、1862年9月ごろ京都で活動開始、1863年3月京都出立しているし、その間も一度土佐に帰国したりしているので、わずか半年足らずしか京都にいなかったちうことですね

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金茶寮という会席料理屋さんになっています

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↑かすれちゃって読めません!


【吉村寅太郎寓居跡】

 >>看板抜粋

 

「土佐藩の庄屋に生まれ、武市半平太に剣術を学び尊攘思想に傾倒、土佐勤皇党に加盟。坂本龍馬らと脱藩し上京するが、寺田屋事件で捕らえられ土佐に送還され投獄される。保釈後、再度上洛して武市の寓居「丹虎」の隣に居を構える。最終的には八月十八日の政変で幕府軍の攻撃を受け、九月二十七日大和国吉野にて戦死。」

私はそもそもこの人のことはよく知りませんが、大和国吉野、現在の奈良県で幕府に反旗を翻す「天誅組の変」を起こしたのは知ってる。結局烏合の衆である彼らはそこで壊滅することになるんですよね。
面白いのは、後に海援隊に入る池内蔵太が、この天誅組に加わって生き延びたという事。しかしせっかく生き延びたのに、船の難破で命を落としてしまうから残念です。
坂本龍馬も、彼を相当買っていたようで、非常に残念がっていたという事です。

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【加賀藩邸跡】

>>簡略した抜粋
江戸時代初期に初めて置かれる。藩主は代々前田家。
江戸時代外様の最大の大名だったが、幕末では活躍する事はあまりなかった。
五代綱紀は文治政治を行った英主で、東寺の古文書を整理するなど京都との関係は深かった

とあります。んー確かに幕末は影が薄いねぇ。
一応、慶喜を支持はしたけど、幕府軍が鳥羽・伏見の戦いに敗北した後、新政府の北陸鎮撫軍に服従したし。
他の大勢の藩と同じく、藩内で意見が割れていたといいます。

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