日野新撰組めぐり② [◆日野・新撰組めぐり]
⑤井上源三郎資料館
土蔵を改装した資料館がオープン。
源さんの兄、松五郎の「文久三年御上洛御供旅記録」、歳三書状、源三郎書状、近藤勇が松五郎に贈った名刀「大和守源秀国」などの資料が展示されています。
■源さんは強かった説
6番隊のほとんどが鳥羽伏見の戦いで最後まで戦ったそうです
ガイドさんは、源さんが地味でそれほど強くなかったら、それほどまでに一致団結しているだろうか?と推測されてました。確かになぁと思いました。剣よりも心が強かったのかもしれないですね。間違いなく、人徳はあったのでしょう。
■源さんの甥の話
源さんの甥っ子・泰助は隊士とは認められませんでしたが、どうしてもということで源さんの江戸出張の帰りについてきてしまったそうです
若干11歳の彼、鳥羽伏見の戦いで源さんが死んだ後、首だけは戦場に残すまいと「首を切るのを手伝って欲しい」と周りに呼びかけたそうです。
そして首をもって逃げ帰る途中、あまりに重たく、実家の近くにあるお寺と同じ名前の『ごんぎょうじ』の門前に埋めてきたそうです。
置かれている状況や時代が違うとはいえ、現代の11歳とこんなにも違うものかと、深く考えてしまいました。とにかく気合入ってます
井上家現当主の奥様とその話をしたところ、その当時の話を直に聞いたご先祖が、「源さんの首が埋まってるのは「ごんぎょうじ」と言っていた」のを子孫たちは「ぼけている」と勘違いしていたそうです。「家の近くの寺と間違えてるよ」って…。だから京都の伏見近くの寺を探さなかったそうです。
ちなみに現在確認してもその当時死体がごろごろあって、まとめて掘り起こして埋葬したそうで、源さんの遺体は不明になってしまったとのこと。
甥っ子が利発すぎたあまりの残念な結果ですね
源さんのどらやき、もっちりして美味しかったです
↑蔵だけにかっこいいですねー
⑥唐辛子地蔵
資料館の前の道を日野宿本陣方面へ向かうと、道すがらすぐ見つかります。眼の病に効くという唐辛子地蔵があり、新撰組の面々も、ここへお参りしたといわれています。
⑦八坂神社
日野宿の鎮守で、近藤勇らが奉納した剣術額がありますが、閉ざされていて中の神輿しか見えませんでした…敷地は広いのに残念ですねぇ…。
⑧新撰組のふるさと資料館
■相馬主計の贈友談話と近藤最後の手紙の封筒がこの時のメインでした。館内には歴史を語るボランティアのかたが数人いて、親切に教えてくださいました。「新撰組を好きな方は私より詳しいから…」なんて謙遜してましたが、いえいえ新しい発見がありましたよ~~
■相馬主計のその後
実は相馬主計は「鳥取藩の知事」に推挙されたそうです。
相馬は函館降伏後、新島に流されてそこで「贈友談話」を書き、結婚し、妻と江戸に戻りました。その際に打診されたといいますが、断ったそうです。
しかし江戸でひっそりと暮らしていたが、妻に「他言無用」と言い残し突然自害したそうです。
一説には元新撰組の肩書きは周りの冷遇を誘い、板ばさみになり苦労したとも、実家に迷惑をかけたくないからけじめをつけたとも言われています。
私は彼が魂を抜かれた状態になってしまったんじゃないかと思います
新しい世の中が、まるで戦争でもなかったかのように前向きに生きている様が、彼にとっては生きにくかったのかもしれないし。
真相はどうであれ、新撰組最後の隊長の末期として涙を誘う最後ではあります
↑道標さえも誠!
↑館内のボランティアの方と歴史漫談して楽しかったです
⑨タクシーで土方歳三資料館
こちらには2回目の訪問です。歳三お手植えの松など、よく知られていることは今回ここでは省き、新しい発見のみ記しました。館長の土方陽子さんと、その娘の土方愛さんがいらっしゃって、他の人の合間を縫って少しお話させていただきました。ちなみに愛さんの著書、【子孫がかたる新撰組】を購入の際、サインをもらっちゃいました
■榎本武明が書いた扁額
歳三の甥が、後年歳三がどんな人間だったか知りたくなり、当時の歳三をよく知る方を訪ね回ったそうです。その時、榎本武明は「部屋に入ってきたときに清らかな風が吹いたような気持ちにさせる男だ」と評し、一筆書いたそうです。
■鎖帷子
土方の鎖帷子がありました。槍で突かれたのか穴が開いていて、戦闘の激しさを感じさせます。
そのほかあの有名な兼定やその写し、鉢がね、石田散薬の箱、腕章(全国で13個しかない)などが飾られていました。みな食い入るように真剣に観察していました。
↑立て直されて綺麗になりました。前の建物も味がありましたが…
↑入り口に佇む胸像。威厳を感じさせます
⑩とうかんの森
墓に向かう途中、とうかんの森と呼ばれる小さな森があります。小さいのに森と呼んでいいのかわかりませんが、昔はもっと広かった森の一画ということでいいのでしょう。
ムクやカヤがうっそうと茂り、その奥に稲荷様が祭られています
その一部だけ時が止まったような佇まいで、稲荷の前にぽっかりあいた木々の間の空間に入ると、はるか頭上で嵐のような木の葉ずれがゴウゴウと鳴っている。まるでタイムスリップしたみたい
「中の稲荷」は古くから土方一族が祀ってきたもので、宝永5年(1708)の記録にも残されている。
「とうかん」という呼称は稲荷の音読み、あるいは十家の音読みに由来するものということです。
⑪土方の墓
石田寺に土方の墓があります。最近はマナーがあまりなく、供え物を放置して帰る人が多いので、もしかしたら近い将来一般拝観禁止になってしまうかもしれませんそのような注意書きがありました。供え物はおまいりが終わったら持ち帰る物なのに、それを知らない人が多いのでしょうね。
ここに訪れるのは2度目ですが、何度も訪れたような気分になりました。
参拝者のための休憩所もあり、明るく大きな、落ち着いた寺です
⑫高幡不動尊
帰りにモノレールで高幡不動尊まで行きました。もう本堂も土産屋も開運そばもしまっていたけれど、2回ほど来たことがあるので、とりあえず境内だけ散策して帰ってきました。夕焼けがキレイで、しみじみとしちゃいました
↑万願寺駅にあったPOPです
↑夕暮れに佇む歳三。何を想っているのでしょうか…
↑銅像の斜め後ろに石田散薬の原料が生息してましたw
↑絵馬です。気合入れて書かないと、歳三に叱られそうです
↑土産屋さんのシャッターです。さすが!
↑土方資料館に売っていますw
↑歳三キューピー!限定品です♪
↑この日の戦利品。読み応えはばっちり!
コメント 0