光縁寺~1日目⑤ [◆京都・幕末めぐり]
【光縁寺】15:00~15:45
>>八木邸から徒歩5分
- 幕末ポイント・・・山南敬介ら新撰組隊士の骨が埋まる寺
↑八木邸から光縁寺へいく途中の旧前川邸
↑近くの酒屋で売っていたお土産
山門は閉ざされ、くぐり戸の前に『観光はお断り。お参りしたい方はどうぞ』と張り紙が書いてあります。
意を決してチャイムを鳴らそうとすると、中から「入りたいの?」という住職の声。お願いします、といって中に入る
ちょっとぶっきらぼうな雰囲気の住職が埋葬一覧表を出してきた。これは誰かわかる?と聞くので、「勘定方の…」と答えるとと、「あんた本物だね~」と褒めてくれた!
最近はきょろきょろ覗くだけで、そのまま素通りしてしまう人が多いという。そういう人は中に入ろうともしない、偽者だ。と仰っていた。曲がりなりにも寺なのに、興味本位で訪れる人が多いのだろう。住職は辛口だけど、まっとうなことを言う。
なんだか参拝する人格に値すると言われたようで(誰もそこまで言ってない)かなり嬉しかった
山南さんらの新撰組の墓前に15分以上佇んでしまったが、気になるのは山南の隣の小さな墓そこには南天の花が咲き、「山南縁者の墓」と書いてあった。
さてここで大ニュースですよー
山南敬介の恋人・明里は、山南の死後、沖田と恋仲になった可能性が高いんですって!まじかー
住職が語るには、山南死後に明里は「自分が死んだら隣に埋めてほしい」といったそうな。それを聞き届けた沖田が、その時代女性の名で墓を立てることは通常無かったから、「縁者の墓」とぼかし、誰の墓かわからぬよう(また取り壊されることの無いよう)にしてあげたそうな。
ちなみに明里の死亡時期、死因は「そこまで知らないよ」だそうです。
いやぁ・・・明里は遊女だぜ?の住職の言葉に変な重みが・・・確かに美人だし男がほうっておくはずが無いね。
沖田は恋人というより後見人のような関係で、介錯をした責任感半分、片思い半分だったのかもしれない
さてここには壬生寺のように記念碑代わりの墓ではなく、本物の新撰組隊士の遺体が埋まっている。埋葬一覧表の一部を拾ってみると…
【野口健司・葛山武八・山南敬介・松原忠司・河合き三郎・谷三十郎・加納鷲尾・藤堂平助・伊東甲子太郎】
…とまあ新撰組隊士28名もがこちらに埋まっているのであります。
昔明治の頃、区画整理で墓を移動したことがあったそうな。その際、松原忠司の墓から女の骨も出てきたそうです…。松原は夫をもつ女と不通を働いていてそれが露見し切腹した、という説がありますが、それが裏付けられる証拠となりそうです。
いやぁー真偽の程はともかく、新たに貴重な情報を伺うことができました。
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