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縄文~1万年の美の鼓動 [★和の催し]

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●HP…http://jomon-kodo.jp/


縄文時代といっても、前期から晩期の四段階に分かれ、紀元前131世紀頃から紀元前4世紀頃までの、12700年ぐらいの幅広い時代を指します。
たかだか150年前には侍が刀を振り回していたことを想像すると、現代までの技術進歩が早すぎて、私には一万年という年数は計り知れない長さに感じます。

その間、文明や科学の発展はあったにちがいないと思うのですが、実際はどうだったのでしょう。残された土器などからは、美への意識の変遷しか窺いしることしかできません。ギリシャやローマのように、壺などに描かれた図柄からある程度の生活レベルが推し量れるような写実性は全くなく、予想を遙かに超えた意匠がそこにはありました。

●想像を遙かに超えた造形


縄文のデザインは大きくわけて2つあると思いました。 国宝「土偶 仮面の女神」に代表される逆三角形の顔と、「斜光器土偶」と呼ばれる宇宙人(もしくはSTAR WARSのマスター・ヨーダかマズ・カナタ)のような顔。

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後者はエスキモーがかけるサングラスをかけた顔であるとか、死者の目をつぶった顔だとか推測されていると解説されていたが、前者には全く説明がない。なぜ逆三角形なのか。もし縄文人がアイヌに代表されるような特徴を持っているとしたら、顔の輪郭は四角くしないだろうか。それとも、人物像はなるべく本物に近く写実的にするのが当たり前だろう、という現代人の概念で推し量ることが間違いなのか。

平べったく上向いた女神のお面は、太陽の光や月の光をよく反射しそう。
光のなか、祭壇の上で神が憑依した神官が霊を弔う…などと勝手な妄想をする。

おしなべて顔の造形はぞんざいで、上から張り付けた棒のような眉や目、たらこのような唇をしており、乳房がないと女性なのか見分けがつかない像もある。というか、土偶はほぼ女性像というのが定説のようだ。
顎と臍の周りに湿疹のような小さな斑点が密集している像は、てっきり男性の顎髭や臍毛を表しているのかと思っていたら、それも女性像らしい。しかも臍毛と思っていた部分は女性器だそう。
本当かな?文字がない以上推測の域を出ないわけで、学説を鵜呑みにするのもどうかとわたしは思う。

十以上もの火焔式土器の陳列は圧巻。火焔式土器が、こんなにも存在することに驚いた。見えない炎の揺らめきが室内を圧迫して、圧倒される。 生命力、自然への畏れとそれを取り込みたいと思う人間の欲望を感じる。
一見無秩序に思われる縄文の紋様は、いやしかし意外なほどシンメトリー。 自立しない土器は底から4/1ほど焦げが多い。竈にスポッとはめ込んで使われていたのだろうか。


■縄文人のルーツ

縄文人、と一括りにされた人々は、東北や関東に集中している。 「魚への憧れ」「魚の図案は珍しい」などの解説版がちらほらあることから、縄文人は専ら内陸部にいたようである。もちろん、大森貝塚のように沿岸部に暮らす人々も確かにいただろう(ちなみに大森貝塚は気候変動で気温が下がった縄文晩期だそう)。

弥生時代から先は西での文化が興隆を極めていく。 私はしばらく、日本武尊が東征した伝説に呼応するように、縄文人は弥生人に北へ北へと追いやられ北海道にいるアイヌだけになった…などという考えに捕らわれていたが、近年では縄文人のDNAは日本人にしっかりと組み込まれており、渡来系弥生人のDNAと「融和」しているとの研究がある。

https://m.huffingtonpost.jp/foresight/jomon-man-dna_b_7601964.html

朝鮮半島経由の渡来系は稲作をもたらし、バイカル湖系の縄文人は積極的に稲作文化を取り入れ、いつしか血も混じり合い…ということなのだろうか。日本には人間の祖である三つの人種が来ていた、というのも面白い。


全く根拠のない思い付きだが、斜光器土偶をしみじみと眺めていると、かつてローマ帝国やゲルマン人を脅かしたモンゴルからやってきたフン族を思い出した。太い眉、細長い目、ヘルメットのようなおかっぱ、背は小さく肩幅はあり、ずんぐりむっくりとしていたという。彼らも縄文系のDNAなのだろうか。

ナマコ唇のぐるりに沢山の穿孔がある土偶もあり、それは何を表しているのだろう。髭か入れ墨なのだろうか。実際、幕末明治までアイヌには口の周りに入れ墨をいれる風習があったから、関係しているように思う。


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勾玉の形に神聖さを感じたり、結い上げた髪に挿す簪、笄(こうがい)などの装飾品の美意識は、なんとなく日本人の根底に刷り込まれた一種の形だと思う。
ハート型のお面…宮中の女性の髪型に、正面から見るとハート型にしか見えないものがあるが、それを考えると、あれは髪型のアウトラインを取ったお面なのかもしれない。

アフリカで大きな輪を唇にはめた部族がいたが、縄文人も同じように大きな輪をはじめとする耳たぶにはめていたことは初めて知った。
そして、保管された乳児や幼児の足形や、家に飾られた男根の巨大な石像、トーテムポールのような彫像…イルカの霊を弔う意匠が施されているものなど…すべて縄文への目を開かせてくれる品々だった。

私の勉強が足りないだけかもしれないが、縄文時代の「生活」はわかってきても、「社会生活」があまり伝わってこない。一万年もあれば、群れのリーダーが現れ、生活向上に関する技術が子々孫々伝えられ、そのうち突然変異のような才能ある者が出現し、他部族との衝突などをはらむ「政治」のような営みが生まれると思うのだが。
森深く自然豊かな日本の風土が、縄文の痕跡を隠してしまったのだろうか。
今までの縄文の概念を揺さぶる、ロマンを掻き立てられる必見の展覧会だった。縄文への興味が一気に高まった。


■上野藪そば


初訪問。縄文展で疲れた足を伸ばしながら、からからに乾いた喉を取りあえずキンキンに冷えた「みぞれ酒」で潤す。

これが甘くて美味!口直しに味噌と塩が供されて、どちらも酒に合います。特に塩は舌に載せると甘さが際だちますね。 このお酒、常温だと非常に甘いのだろう。

つまみには茄子のお浸し、獅子唐も添えて。 メインには季節の素麺と散々迷いましたが、やっぱり基本のせいろを頼みました。おそばは細いながらも角がしっかりあるタイプで、つけ汁は濃い目。
そばの下の部分をほんの少しだけくぐらせます。 そば湯は木製の湯桶ではなく赤茶けた金属製の小さなやかんで、とても可愛らしい。そば湯はさらさらとしていて非常に飲みやすかった。
名店そば屋の例に漏れず、回転が早く混雑しているにも関わらず、居心地がいい。


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■上野パルコyaの「みはし」


地下一階の上野が好きコーナーや、四階の濱紋様やがま口の綾小路など、和雑貨が充実していて楽しい。

色々物色した後は、甘味屋「みはし」で〆。
「クリーム白玉金時」 で素朴な豆とソフトクリームの組み合わせを楽しむ。 弾力のある白玉をクリームの甘いベールで包むようにほおばる。たまりませんね。)

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