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江戸から東京へ ~江戸城無血開城から東京の新たな幕開け~@日比谷図書館 [★和の催し]

2018-12-04T19:20:44.jpg


《展覧会概要の抜粋》
平成30年は、明治維新150 年後にあたり、改めて明治期を振り返り、将来につなげていくために、全国各地でさまざまな取り組みが実施されています。 とりわけ江戸城を擁する千代田区には、桜田門外の変、江戸城から皇居への移り変わり、不平等条約改正にむけての欧化政策を推進した鹿鳴館をはじめ、 幕末から明治維新にかけての歴史の舞台が数多くあります。今回の展示では、幕末の黒船来航以来の幕末動乱から江戸城無血開城、鹿鳴館時代といわれた明治10年代までの時代をとりあげ、社会の変化や千代田区をはじめとする江戸から東京へと移り変わる街並みなどを紹介します。
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勝海舟は明治政府に仕官を要請されても、すぐに退職したり退官したり。憲法の諮問会議のときにも黙りを決めて一言も発しなかったらしい。相当意固地で意地っ張りな部分は個人的に通じる物があって、気持ちは分かるが、それだけ人物をかわれているのだから、 薩長側が瞠目するような意見を堂々と述べてもらいたくもあった。ここで薩長などと言っている私も「器の小さな」人物なのだろうけれど。

篤姫も和宮も徳川家の矜持を示しましたね。 特に篤姫は、薩摩に戻らなかった。徳川家に留まることが、自分が選択できる最後の意思表示だったのだろうと思う。藩しいては男のいいなりになったわけではなく、私は自分の意思で徳川家に嫁いだとでもいうように。かつての家臣に裏切られた気持ちもあったことでしょう。

幕末は安政の大地震があったことから、地震を抑えるという茨城県にある鹿島神宮の要石を拝み倒す民衆の絵や、藩を商家に見立てて囃子歌を書き込んだ絵など、ユニークな物が多く楽しめた。 また、幕末から明示にかけて流行ったという油絵のような奥行きを出せる「泥絵」というのも初めて知りました。

かつての上屋敷や下屋敷がどのように活用されたかの新旧見比べ写真もありました。 これぞ長屋というような歩いても歩いても壁、という屋敷もありました。雑木林は切り倒され官公庁の建物にとってかわることも。
知らなかったのは【李王家東京邸】なる建物があったこと。そういえば勝海舟も李王家の李鴻章とは親睦を深めていたと【氷川清話】にありました。
余談ですが、図録の一部に間違いがあると指摘している人がいました。よく聞こえなかったのですが、清水建設ではないか、と。気になります。

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