上野公園御朱印めぐりとボタン園 [◇江戸寺社・史跡めぐり]
着るものに困るくらい暖かだった先週の日曜日。
【兵馬傭展】も期限が迫っていたので見に行くことに。
とその前に、友人が御朱印集めをしているから何処か神社に行きたいと言うので、東照宮を案内しました。
東照宮の御朱印帳があまりに可愛らしいので、私もこれも縁かと購入。
神社仏閣めぐりをしているくせに、今まで御朱印集めに興味がなかったのも不思議で、一度記帳してもらうと何だか嬉しくなり、今まで伊勢だの京都だの散々巡った場所へ集め直しに行きたくなりました。
上野東照宮は家康を祀っているので、日光の日暮の門ほどではありませんが、唐破風や透かし彫りの塀など中に入らずとも門扉だけで十分豪華な装飾が施されています。
特に眠り猫で有名な左甚五郎作の昇り龍、降り龍が見事です。
体は二体とも上を向いていますが、一体頭を垂れています。
実はこちらのほうが「昇り龍」で、偉人ほど頭を垂れるから、とのこと。再訪にて初めて知りました!
東照宮は牡丹の季節。御朱印も牡丹柄を押下してくれました。
その気なれば上野公園の神社仏閣だけで9種類集まるそうです。
五条天神社と花園稲荷神社では、五条天神社の社務所でどちらも押してくれます。
本当は両方頂いてもよかったのですが、立て続けに紙が埋まってしまうのが勿体ない気がして(笑)、花園稲荷だけ頂きました。伏見からこっち稲荷社には縁があります。
↑降り龍
↑昇り龍
↑大ぶりの花弁、島錦
↑優雅な蓮鶴
↑情熱的な花王
↑黄冠。色合いがとても好み
↑堂々とした島大臣
↑島錦
↑途中咲いていた三股。枝が三つに分かれるそうです
↑花は固く、密集しています
遅めの昼食は【韻松亭】で【三段ちゃつぼ弁当】を。
一の膳の刺身蒟蒻や湯葉さしは醤油なのにもったりしているタレで。
二の膳はよく染みたお麩、オカラの和え物、おひたしなど。
三の膳の炊き物ははんなりとした味。おいも、カボチャ、胡麻豆腐?、玉子など全て小ぶりで形よく美味でした。。
何より赤だしの味噌汁とご飯が美味しくて。二人ともお代わりしてしまいました。
喫茶ではない母屋へは初めて入りました。外見はそこまま中は何度か改装しているそうです。
中は複雑な構造になっています。私たちは堀ごたつのように足を投げ出せる広めのカウンター席へ。
窓の外には消えた篝火、その後ろには緑が揺れて気持ちいい。上野にいることを忘れる心地よさでした。
↑丁度邪魔なビルが目隠しになって
二月大歌舞伎 籠釣瓶花街酔醒 [★伝統芸能]
序 幕 立花屋見世先の場
二幕目 大音寺前浪宅の場
三幕目 兵庫屋二階遣手部屋の場/同 廻し部屋の場/同 八ツ橋部屋/縁切りの場/立花屋二階の場
大 詰 吉原仲之町見染の場
佐野次郎左衛門・・・吉右衛門
兵庫屋八ツ橋・・・菊之助
下男治六・・・又五郎
兵庫屋九重・・・梅枝
同 七越・・・新悟
同 初菊・・・米吉
遣手お辰・・・歌女之丞
絹商人丹兵衛・・・橘三郎
釣鐘権八・・・彌十郎
立花屋長兵衛・・・歌六
立花屋女房おきつ・・・魁春
繁山栄之丞・・・菊五郎
初見の籠釣瓶花街酔醒。今まで観劇した歌舞伎の中で、一番構成に飽きがこない演目かもしれない。
めまぐるしく雰囲気が変わり、あっという間の2時間だった。
大らかなオーラを発する、浪人であっても凛とした菊五郎、百合のような気品を漂わせる菊之助、2人の親子共演も見もの。
序幕は華やかで滑稽、二幕目は不穏な気配がそろそろと漂い、三幕目は緊迫感のある人間模様、大詰めは恐ろしい刃傷沙汰。
いくら醜いあばた顔の男だとて、あれだけ虚仮にされては恨むというもの。
いや、醜いがゆえに自分の劣等感を超越するために、大らかさや思いやりを努めて持つようにしてきた人間ならば、非道い仕打ちへの反動は大きいものかもしれない。
同輩に「身の程知らずのほら吹き」と痛罵された次郎左衛門が痛々しく、九重の労わり、主人を罵倒された治六の憤慨が情けなさに拍車をかける。「振られた果報者」とつぶやく背中は涙を誘う。
恐ろしいのはその場では悲しみにうちひしがれた次郎左衛門が、半年間どう生きてきたかということ。
平静を装いつつ復讐に胸を燃やしていたのは火を見るより明らかだが、心に渦巻いていた怨念が彼をじわじわと蝕んでいく様を想像すると、ああ怖い。
遠く離れた江戸で、八ツ橋は万事うまく収まったと胸をなで下ろしていたのだろうか。甘いよなぁ。
そもそも、事の起こりは八ツ橋が身請け話を受けてしまったことから。
間夫に黙って身請けしようという魂胆だったのか、断るつもりがぎりぎりまで引き延ばそうと思っていたのか。
この辺がはっきりせず、もどかしい。このもどかしさもまた、面白いのだけど。
吉右衛門の次郎左衛門がなめるように籠釣瓶を眺める様子は、何かに取り憑かれたよう。
大向こうのかけ声がなかったら、その恐ろしさに静まりかえっていたことだろう。
それもそのはず、籠釣瓶は実は妖刀村正。
実は次郎左衛門は祟りによって顔が醜くなったんですね。
長男が遊女を身請けしたが、梅毒にかかっていたため惨殺。
その後長男は祟り殺され、次男の次郎左衛門も祟りで顔が崩れた。
なんてまあ、酷い人生なのだろう。
祟りの憂き目にあった恨みと八ツ橋への恨み。村正の妖しに十分惑う背景がある。
上演されない部分が、歌舞伎は実に面白い。
芭蕉庵~椿山荘~鳩山会館 [◇江戸寺社・史跡めぐり]
>>看板引用
江戸時代を代表する俳人松尾芭蕉(1644~1694)が、2度目の江戸入りの後、1677年から3年間この地に住んだ。当時、旧主筋の藤堂家が神田上水の改修工事を行っていて、芭蕉はこれにたずさわり、工事現場か水番屋に住んだといわれる。
その水番屋が「龍隠庵」という名前で、芭蕉の死後いつしか人々が関口芭蕉庵と呼ぶようになった・・・ということらしい。
番屋の命名はきっと芭蕉自ら呼んだのだろうと推測する。
建物は焼失し、現在のものは第2次大戦後の建築だそうです。
正門は閉ざされ、胸突き坂の方に入口があります。こじんまりとしつつも、池と橋を設けた回遊式庭園の体になっていて、なかなか情緒があります。
■椿山荘
遊歩道を江戸川橋方面へぷらぷらといくと、本館からは裏手になるのでしょうが、庭園へと誘う入口があります。
以前も永青文庫の帰りにこちらへ立ち寄り、【無茶庵】でおそばを頂きました。この日も鴨そばを頂き、体が温まりました。
■鳩山会館
政治家の鳩山一族に何の思い入れもないが、永青文庫から近かったので立ち寄ってみた。
ジョサイア・コンドルの古河庭園とまではいかないが、それなりに瀟洒な洋館。
きっと薔薇が咲き誇っていたら、もっと美しかっただろう。
関東大震災の翌年、大正13年に建築。
崩落の危険があり外された屋根のオブジェや、傷みが激しくて改装した経過を説明したパネルなどが展示されていた。
常々思うのだが、コンクリートは本当に脆弱だなぁ。
広いサンルーム、二階の大広間など、調度品もないせいか、妙にさっぱりとしている。
柱や窓枠などに、欧州のそれと比べてあまり装飾性がないからだろう。
古河庭園などと違い、実際に使用した食器棚やソファなどに日常感をたっぷり感じる。
鳩山政権時代の、各国首相との贈答品を眺めるのは楽しい。
中国人民対外友好協会からの金ぴかの鑑真像には笑った。お国柄が出ますねぇ。
バラク・オバマからのガラスツリーの置物は、彼の純朴な人柄を彷彿とさせる。シンプルで豪華すぎず、ステキ。
二階は友紀夫氏の祖父一郎氏、父の威一郎氏の遺留品を展示。
陛下から内閣総理大臣に指名する任命状などなど。
位階令は戦後、個人に対する顕彰制度に改革されたことを知りました。
戦後生きているうちにあげることも少なくなり、形骸化したということなのだろうか。